そう言えば、最近夜中に僕のバイト先のコンビニに自分の後頭部をずーっとグーで殴り続けてるおじさんがよく来る。
軽くじゃなくて拳を振りかぶってゴツゴツやってるんだけど、その姿を見てるとポール・マッカーシーの「ロッキー」っていう作品を思い出してしまう。
その作品は作家自身がボクサーに扮して自分の体を全力で殴り続けるというパフォーマンスを記録した映像作品なんだけどあの切実さは何なんだろう。
僕は格闘技全般に興味がないんだけどボクシング(それも軽量級の)だけは刹那的な感じが琴線に触れる。
そんなボクサーに扮した作品だから切なく感じるのかとも思ったけど、なんかもっと別の何かがある気がする。
作品の全編を見たことはないんだけどyou tubeでその一部をループさせてると胸が締め付けられる。

だけど、当たり前だけどこの自分の頭をゴツゴツやってるおじさんはパフォーマンスで自分の頭を殴ってる訳じゃない。
僕は偶然ポール・マッカーシーの「ロッキー」という作品を知っていたからこのおじさんの行為に僕なりの考えを巡らせることができるけど
まったくニュートラルな状態(自分の頭をゴツゴツやるという行為から自分にとって何かしらの重要な記憶や経験のどれにも接続されない状態)の人がこのおじさんに出くわした場合「気持ち悪い」とか「怖い」あるいは「危険な人かも知れない」と感じるに違いない。
僕らは日常の雑音に対して耳を塞いで生きてるのかもなと思った。