畠山直哉の「A BIRD」を見返して思ったこと。

世界を世界としてそのまま作品にすることは出来ない。
花を観て綺麗だなと思うことをそのまま作品には出来ない。
なにか操作が必要。
それが絵にしたり写真にしたりということ。
得られたイメージと僕らの生きる世界との乖離にいつも絶望する。
だけど、ほんの少し世界のしっぽみたいなものが写り込むことがある。
そのことに気付くか気付かないか。
一つの事柄が抱える無限を許容できるか。凝視できるか。
無限は混沌。
混沌を一旦受け入れ了解する。
そこから何を選び取るのか。
カメラや写真は常に世界に対して開かれている。
後は自分の心を世界に対して開くだけ。